森下泰記念賞 第2回(2022年度)受賞者 記念講演

新規眼科領域再生医療の
開発と産業応用

西田 幸二 氏

大阪大学大学院医学系研究科
脳神経感覚器外科学講座(眼科学) 主任教授

難治性の眼疾患の克服につながる幹細胞研究に希望を見出す

外界からの情報の80%以上を視覚から得る私たち人間にとって、視覚の維持につながる研究は極めて重要です。眼の最前方に位置する透明組織の角膜は、外傷や炎症性疾患、遺伝的疾患などで混濁すると機能不全となり、失明に至ります。眼科領域における再生医療の研究は、難治性の眼疾患の克服につながる大きな可能性があるのです。

私は1988年に眼科に入局しましたが、翌年に、現在に至る私の道を決定づける論文が発表されました。黒目と白目の境目、つまり角膜と結膜の間にある「輪部」という部位に、多分化能や自己複製能をもつ幹細胞が存在する決定的な証拠が示されたのです。以来、私は「幹細胞」という言葉に魅せられ、角膜上皮の幹細胞の基礎研究を続けてきました。

1998年には米国Salk研究所で、神経幹細胞の研究を通じて幹細胞の基礎を学び、帰国後は本格的に幹細胞を用いた再生医療の研究に乗り出しました。2010年、大阪大学で眼科学教室を主宰してからは角膜上皮の幹細胞に加え、網膜の神経幹細胞、血管の幹細胞など、眼全体の再生医療研究に取り組んできました。

角膜再生医療を切り拓いた、三つの細胞シート開発と臨床研究

眼科領域の疾患の一つに、角膜上皮幹細胞疲弊症という難治性の病気があります。自己免疫疾患や外傷などが原因で輪部が損傷することで、角膜上皮細胞のもとになる幹細胞が消失します。それにより角膜上皮が維持できなくなり、角膜に結膜が侵入して黒目が白く濁り、著しい視力障害を引き起こします。

唯一の治療法は角膜移植ですが、ドナー不足と拒絶反応が大きな課題でした。私たちは再生医療に活路を見出し、これまで細胞シート工学を用いた三つの角膜再生医療の開発と臨床研究に取り組んできました。

①ヒト(自己)角膜輪部由来角膜上皮細胞シート

自己の角膜上皮幹細胞を採取・培養したシートを移植する再生医療の臨床研究は1997年に報告されていましたが、培養皿からシートを剥がす際に用いる蛋白質分解酵素が細胞にダメージを与え、生着率や予後に影響することがわかってきました。

そこで東京女子医科大学の細胞シート工学の岡野光夫名誉教授、大和雅之教授らと共同研究し、「温度応答性培養皿」の開発に成功しました。温度応答性ポリマーを用いて温度コントロールすることで、細胞シートが自然脱着します。これにより細胞にダメージを与えずにシートを回収する技術が確立したのです。臨床研究においても、シート移植後の生着率や予後は大きく改善されました。

②ヒト(自己)口腔粘膜由来上皮細胞シート

温度応答性培養皿の開発で、角膜輪部再生の成功率は高まったものの、自己の角膜上皮幹細胞を用いるため、両眼性の疾患を抱える患者には応用できない難点がありました。そこで試行錯誤を経てたどり着いたのが、世界初となるヒト(自己)口腔粘膜由来上皮細胞シートの開発です。これは患者から採取・分離した口腔粘膜上皮幹細胞を培養して細胞シートにする手法です。

角膜上皮細胞そのものにはなりませんが、機能的な代替物となります。first-in-human臨床研究では、4例中4例が視力回復し、術後10年を経ても視力を維持していました。この症例を報告した私たちの論文は驚きをもって迎え入れられ、医学系ジャーナルでインパクトファクターNo.1の「The New England Journal of Medicine」に掲載されました。

③他家iPS細胞由来角膜上皮細胞シート

2007年、京都大学の山中伸弥教授らがヒトiPS細胞の作製に成功した報告がなされました。私たちは2006年からiPS細胞の提供を受け、角膜上皮そのものを作製する研究に取り組んできました。iPS細胞は、臓器や血管、神経などあらゆる細胞になりうる多能性幹細胞ですが、細胞を誘導する手法はそれぞれに確立していかねばなりません。

10年にわたる研究の末、ヒトiPS細胞から眼全体の発生を培養皿上で再現し、そこから角膜上皮細胞シートを作製することに世界で初めて成功しました。ラミニン511の基底膜上でiPS細胞のコロニーを形成させ、特別な成長因子を含まない分化培地に変えると自立的な分化が始まり、眼オルガノイドが誕生したのです。

この眼オルガノイドを私たちはSEAM(Self-formed Ectodermal Autonomous Multi-zone)と名づけました。1層目に中枢神経、2層目に神経網膜などの原基、2?3層の間に水晶体、3層目に角膜上皮を含む眼表面上皮の原基、4層目に表皮が誘導される4層の細胞構造で、ヒトの眼の発生を時空間的に再現しています。

3層目の角膜上皮細胞から細胞シートを作製し、移植します。4例の臨床研究では、眼の表面が再建されて、角膜の透明性と視力が回復し、拒絶反応や腫瘍形成、角膜感染症などの重篤な合併症には至らず、安全性・有効性が示されました。

SEAMは眼を構成するさまざまな組織の再生医療に応用可能で、ヒト眼の形態形成や先天的な眼異常の分子機構の解明につながる革新的発見です。私たちの研究室では現在、結膜オルガノイドと涙腺オルガノイドの作製にも成功し、ヒト眼の形態形成機構の解明へと研究領域を広げています。

医工連携で、眼科領域の新たな医療を創造していく

再生医療を多くの患者に届けるためには、アカデミア同士の融合だけでなく、産業界との融合なくして実現しません。そこで再生医療製品を商用生産するバイオ・医薬品関連企業J-TECにデータを導出し、下記の二つ(①と②)の角膜再生医療技術の製品化を進めてきました。2020年に①ヒト(自己)角膜輪部由来角膜上皮細胞シートを「ネピック」として、2021年に②ヒト(自己)口腔粘膜由来上皮細胞シートを「オキュラル」として保険収載し、再生医療等製品として標準治療とすることができました。

③他家iPS細胞由来角膜上皮細胞シートは、ヒト臨床治験を2022年に完了し、今後は医工連携によって、角膜疾患で視力を失った患者さんの視力回復に寄与する技術となるものと期待しています。

そして、今、私たちは医療の新領域を開拓する挑戦を始めています。「大阪大学ヒューマン・メタバース疾患研究拠点」を設立し、オルガノイド技術、データサイエンス、数理科学を融合させて、ヒトのデジタルツインを仮想空間につくるプロジェクトです。デジタルツインを通じて、病気の発症予測や進行予測、薬剤の効果をシミュレーションし、治療や予防に役立てるもので、医工連携の最前線に立つ先進研究です。

この研究拠点が、国の世界トップレベル研究拠点(WPI)として採択された際、大阪大学名誉教授の岸本忠三先生(IL-6の発見者であり、免疫学の世界的権威)に「継続が創造を生む」という言葉をいただきました。今日に至るまで、さまざまな先生方のご協力をいただきながら、研究を継続することで創造が生まれる瞬間に携わることができました。今後もこの言葉を深く心に刻み、未来の医療創造につながる研究を続けていきたいと考えています。